- ペタンク屋くん
スポールブールの歴史
19世紀後半、フランス南西部の都市リヨンでブールのゲームが始まり「ラ・ブール・リヨネーズ」と呼ばれました。1981年からは「スポール・ブール」と名付けられました。
1894年:リヨンにて初めてブールの大会が開催されました。3日間で1000人以上の選手が参加。
1906年:「ブール・リヨネーズ」というリーグが誕生
1957年:国際リーグ誕生(フランス、ベルギー、モロッコ、モナコ、スイス、チュニジア)
1958年3月8日:上記の6か国とスペインが、FIPJP(Fédération Internationale de Pétanque et Jeu Provençal)を設立。

1. 木製ブールから釘打ちブールまで
初期のブールは、当時の製造技術に基づき、基本的に木材で作られていました。
19世紀半ばまでは、ツゲ、ブナ、ニレの木で作られたボールでゲームしていました。しばしばこれらのブールは部分的に手製の釘が打ち込まれていました。
しかし、これらの木製のブールには多くの欠点があり、特に硬くて石の多い地面でプレイした場合、摩耗してすぐに反ってしまいました。
1872年から釘は機械生産されるようになりました。ブールの製造にも使用されるようになり、摩耗から保護するという利点がありました。当初は大きな丸い頭の鉄の釘を使用し、その結果ボールは重くなり直径が大きくなりました(100〜150mm、重量も最大1500g)。その後、平頭の釘が使用されるようになり、メーカーはアーティストのようにさまざまな素材(鉄、銅、真鍮)の釘を用いて、プレイヤーの希望に合わせて異なるシンボル、数字、星、花、ハートを描くことができました。
その後、直径70〜90 mmのボールを作り。これがプロバンスゲームまたはペタンクの最初のブールとなりました。

2. 釘の種類と製造の技術
異なる種類の釘はまた別の釘付け技術が必要とされました。
最初は適当に少量の釘を差し込んでいました。
大きな正方形の釘(鋼、真鍮)を使用して色々なシンボルを作成しました(逆に鋼、真ちゅう、または銅で作られた平らな丸い頭の釘では、シンボルを作るのが困難でした)。「ウロコ」という技術によってイニシャルや文字、時には魚、ハート、またはアンカーさえも作ることを可能にしました。
頭が半分の丸い釘は当初非常に大きく素朴で、釘がめったに締まらないことがありましたが後でこれらの釘は小さくなり、はるかに複雑なデザインを作ることが可能になりました。
丸い円筒頭の釘は、複雑なデザイン(星、ハート、文字、イニシャルなど)を対象としています。
六角頭の釘は複雑なデザインのために特に使用されました。それらを使うと、木を見せずにボールの表面全体を覆うことができました。
(※以上に記載のあるヴィンテージボールは販売が可能です。ご興味をおもちの方はお問い合わせください。 )
釘付木材ブールの時代の終末
1923年は鋳鉄によってブールが造り始まった。しかし木材のブールは1940年ごろまで使用されていました。
1930年から現在まで、金属製(炭素鋼またはステンレススチール)のブールを作っています(半球と半球を溶接でつけます)
ブランシエル:ニュージェネレーションブール

カラー金属ブールの世界的なパイオニア・ブランド、「ブランシエル」は、2008年にジアンカルロ・ダータと息子ミシェルが、スポールブールで使用されるブロンズブールに代わるカラーブールを作ることに成功して誕生しました。
ブランシエル・ブランドを有するダータF有限会社は、1952年にイタリア・アルプスの麓、キゾーネ渓谷に位置するピナスカで、フェルディナンド・ダータによって創設されました。この、ダータ家所有の会社は当初機械設備を製造していましたが、同時にブロンズのブール・ブランドである「ラ・コンチネンタル」も作り始めました。
その後、ダータF社は年月を経て、コンピューター管理の電子制御機器などの高度技術を駆使し、航空産業分野の精密機器製造の専門的企業として発展しました。
その頃、社長はスポールブール球技のイメージを一新する夢を実現するため、「ブランシエル」ブランドの展開も始めます。カラーブールは国際スポールブール連盟(略称FIB)の認可を受けると、「ブールプロジェクト」に基づき2012年にベイナスコにて専門工場が設立されました。